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里山間題に対して、どう取り組むべきか、その保全と管理をどうすすめるべきか、その展望を切り開いていくためには、何よりも、私たちの視点を明確にしなければならない。それとともに、きわめて曖昧な概念とされる「里山」そのものについて、共通の理解と合意をもっていることが望ましいと思う。
ここ10年余り、私たちの協会においても、里山問題について議論が続けられてきた。それをある程度ふまえながら、私なりの仕方でフィルターした里山の概念を提示して、これからの里山像を描く足がかりになることを期待したい。
林学の専門家である村尾行一氏(注1)(1982年)は、「里山」とは、薪炭林、雑木林といった類いのものといった一般通念的に理解されているが、これは誤解に近いほど不正確であると指摘している。そして「里山」は「里の山」「里に近い山」であって、集落=居住地内ないし居住地周縁部に所在する森のことであると定義している。そこには、広葉樹を主とする薪炭林もあると同様に、針葉樹を主とする用材林もあることを忘れてはならないという。当然、これは林学的視点からの定義であろう。
ところで、今回のシンポジウムに参加している大部分の方は、都市地域に住んでいるとみてよいのではないだろうか。とすると、里山のあり方をめぐる課題は、ほとんどすべて都市の住民−都市側−から提起されることになろう。このことは、そのよしあしは別として、次のような解釈が暗黙のうちに成り立っていることにならないだろうか。つまり、「里山」の里は二重の意味をもち、「集落」と同時に「都市」であり、したがって、「里山」とは、村尾氏的表現を借りるなら、都市地域内ないし都市地域周縁部に所在する森を意味する。とすると、里山こそは、都市に住んでいる私たちにとって、もっとも身近にあって、もっともかかわりの深い山林ということになる。
このように、都市側に視点を置いて、つまり、都市生活圏域に限定して里山を眺めてみると、スギやヒノキといった用材林よりも、むしろ、コナラ・クヌギといった旧薪炭林・雑木林の方が圧倒的に優占しているといってもよい。かつて、これらの林は農村における生産や生活の体系(これを農の生態系といってもよい)に深く組み込まれて、その役割はきわめて大きく、かつ多面的であった。さらに、木炭やマキ・タキギの形で、燃料を都市へ大量に供給して都市生活を支えてきたことも忘れてはならない。
ところが、第2次大戦以後の技術革新や燃料革命は、これらの山林を農の生態系の枠外にはじき出してしまった(この場合、里山の草刈り場もふくめて考えるべきであろう)。その前途に待ち受けた運命は、開発の餌食にされることだけである。しかも、都市地域にあって、もっとも身

 

 

 

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